京都で最も古い花街「上七軒」の魅力をざっくり解説


もりみち

どうも、もりみち(@morimichi_t)です。

今回は上七軒の歴史や魅力をざっくりと紹介します。

すこしでも知ってもらえたらありがたいです。

 

 

上七軒とは?

上七軒(かみひちけん)は、京都市上京区真盛町から社家長屋町に位置する花街である。北野天満宮の東、千本釈迦堂の西にある花街の地名

京都の花街では最も古く、室町時代に北野天満宮の造営に使った残木で、7軒の水茶屋を作ったのが起こりとされている

毎年春、上七軒歌舞練場で芸・舞妓たちによる北野をどりが催される。市バス上七軒一帯。


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最も古い花街でお茶屋が7軒だから上七軒覚えやす!

 

上七軒の歴史

室町時代に北野天満宮の再建の際に残った資材を使って7軒の茶店を建てた。これが「上七軒」の由来で、桃山時代に豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折に茶店側は団子を献上したところ大いに誉められて以来、また西陣の結びつきで花街としての繁栄を極める。

毎年春になると上七軒歌舞練場で『北野をどり』が上演されて少数ながらにして良い技芸を磨き披露している。舞踊の流派は明治以前は篠塚流、その後は花柳流。茶道は西方尼寺で習っている。

 


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舞妓や芸妓さんがいる伝統的な場所なんですって

 

江戸期

江戸期に下の森や五番町に茶屋株を貸し、芸妓中心の花街として発展し、江戸末期に土方歳三が上七軒の芸妓、舞妓を相手にした逸話があるが不明である。

明治以後

上七軒は戦前まではお茶屋50軒、芸妓、舞妓あわせて60名で娼妓も3名いたが第二次世界大戦でお茶屋の大半が転廃業し、1945年ごろに再開。

そのころはお茶屋35軒、芸妓50名ぐらいいたが西陣織産業の衰退により減少し、芸妓数も20名以下に落ち込んで、歌舞会所属の舞踊学校で習っている優秀な生徒に対し組合が北野をどりへの出演を要請していた時期もあった。その中で芸妓が生まれている。

その間、お茶屋『吉田家』の娘であるひろ子が戦後で初の舞妓として店出しをしたが、後に襟替えをし、舞妓はしばらくは消滅した。

昭和〜平成期

しかし1981年3月、石川県出身の梅ぎくが久々の舞妓として店出し、多くの関係者に祝福を受け、彼女の後に次々と舞妓が誕生していく。

1990年代前期、歌舞会は雑誌、テレビなどで舞妓募集を呼びかけ、事実7名の舞妓が生まれたが、伝統を重んじる一部の反対により頓挫した。しかし、近年インターネットがきっかけで舞妓に志願する女性の数が再び増加してきている。

2015年、舞妓は8名である。その他にOLや薬剤師、大学卒業生から芸妓への転身を遂げた女性もおり、世間に話題を提供した。

 

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お茶屋、芸舞妓の増減が激しい上七軒だが、室町時代から続く伝統を大事にしながら新しい方向へ歩みだしている。

2001年、上七軒一帯は上京北野景観整備地区に指定され、2010年3月25日、明治30年代建築の歌舞練場が大規模改修工事を終え、4月中旬に公演されていた北野をどりを58年振りに繰り上げ、杮落とし公演として他の花街よりも早く上演された。


もりみち

この動画以前は結構話題だったらしい。僕も初めて見ました

 

2013年2月、上七軒通電線地中化工事が完成、常夜灯を設置した石畳風舗装の道路に生まれ変わった

主な行事

  • 始業式梅花祭(2月25日)
  • 北野をどり五花街合同舞踊公演盆踊り (匠会)
  • ビヤガーデン(7月 – 8月)
  • ずいき祭寿会事始め

 

 

おわりに

上七軒の良さをざっくり紹介しました。

  • 北野天満宮の目の前
  • 京都で最も古い花街
  • お茶屋が七軒で上七軒
  • 芸妓、舞妓がいる

 


もりみち

もっと良いところはたくさんあると思いますが、ざっとこんな地域です。静かで素晴らしい場所です。今後も上七軒の良さを発信していきます。